今月の26日で
2学期の授業をすべてが終了しました。
冬期講習もせず、
終わるのには理由があります。
それは「冬休み」だからです。
「休み」なのに「休めない」ということは
当たり前ではありません。
子どもたちにとって冬休みは
2学期頑張ってきたご褒美のようなものです。
もちろん、何もしなくて良いというわけではありません。
ただ、ブラック企業じゃないんだから、
休むことを悪いと思わないでほしいんです。
以前、下のリンク先の記事に書きましたが、
冬期講習などには通う必要はないと考えています。
だから、TJでも冬期講習は実施しません。
⇒冬期講習に行かなくても良い理由
2学期のTJに通って手元にあるテキスト、
プリントには、自分がミスしたところが
たくさんあります。
それこそが学ぶべき物です。
冬期講習に行って新しく苦手を洗いざらす必要などなく、
もう手元に材料は十分にそろっているのです。
それをやる。
たった15分でもいいでしょう。
たった15分でも間違った問題を
復習すれば、その価値は1時間以上あります。
なぜなら、
たいていの冬期講習はプリントを用意して
ただやらせて答え合わせをします。
できる問題の中、
できなかった問題は数問でしょう。
その数問のために数時間を費やす必要はありません。
もう手元にその数問はあるのです。
それをやればいいのです。
周囲の子が冬期講習に通っていると、
何か通うのが当たり前のように感じることもありますが、
そんなものは当たり前ではありません。
受験などを考えていて、
本当に必要だと考えるなら通えばよいわけで、
通わないことに負い目を感じる必要はないです。
自分と向き合うことなく、
誰かに強制させられてやる勉強であっても
成績は伸びるでしょう。
成績だけに注目するならそれでもOKです。
ただ、長い人生の中、
ずっと誰かに背中を押してもらって、
または指示されなければ動けないような
そんな大人にはなって欲しくないです。
だからこそ、
成績だけ上がればOKと言わんばかりの
強制させられる勉強を
長い時間してもらいたくないのです。
やらされるのではなく、
意味をもってTJに来てほしい。
心からそう思っています。
最近では、苦手なところまで
コンピュータで叩き出してくれるシステムが
構築されてきています。
便利でしょう。
ただ、使い方によっては
まるで大量生産で人間を作っているようにも見えてきます。
別に私は古いタイプの人間ではないと思いますが、
そう思えてくるのです。
ただ、何でも間でも自分で考えることなく、
自動的に目の前に提示されるものをこなす生き方に
疑問を感じるのです。
人間と人間が対面する授業。
効率が良い悪いではなく、
目の前の課題を共通な材料とし、
お互いが対話し合う。
課題を徐々に浮彫にされることで
子どもは嫌でも自分と向き合う。
そして、時に目を逸らしたくなる。
目を逸らすからこそ、
遠回りしてしまう。
でも、その遠回りのプロセスも人生の一部で
必ず糧になるのです。
昭和っぽいことを言っているようですが、
人間の本質を育てるためには
時間と手間が必要なんだと思います。
その遠回りの道中に、
子どもと先生に信頼関係が生まれる。
また、遠回りの道中に
親も子の本当の姿を見ることになる。
そうやって、
成長の歯車が回り始めるんだと思います。
2学期のTJブリッジが終わり、
そんなことを考えていました。
歩みは遅くても、
確実な成長を遂げる集団。
TJブリッジはバンコクで、
そんな稀有な塾でありたいと思います。