2020年11月6日金曜日

うわべだけの言葉

 「復習したいです」


時々勉プリの文章で子供たちが書いている言葉です。


「カレー食べたいです。」

そういって目の前にカレーがあって
食べない人がいたらどう思う?


子供たちに考えてもらったことです。


「復習したいです。」

そういって復習ノートを出さないのは
なんでだろう?


その事実を見つめてもらいました。


うわべだけの言葉なのでは?


「早くゲームしたいです」

そんなことを書いたら先生に何か怒られそうだから。
なんとなく正解っぽい言葉だから。
先生たち、大人が喜びそうな言葉だから。


そこまで深くは考えてはいなくても
似たような心理があるからこそ
うわべだけで「復習したいです」
というもっともらしい言葉を書いているのでは?


あえてそう投げかけました。


別に復習しなかったからといって
人生が終わるわけでもありませんし、
不幸になると決まっているわけでもありません。


ただ、そうやって上部だけ取り繕って
何事も「放置」する習慣が身についてしまうと
それは自分を苦しめる習慣となってしまうでしょう。


だからこそ、あえて厳しい言葉ではありますが、
「うわべだけ」という言葉で伝えました。



また、すぐにわからないと
深く落ち込む姿も見かけることがあります。


だからこそ伝えたいことは、
「人生なんて思い通りにいかないことばかりだよ」
ということです。


歴史の教科書に載っていない人達。


思い半ば、思い通りにいかずに人生を終えた人の方が
英雄よりも当たり前ですが多いです。


自分は「主人公」だと思っていても、
他人から見たら「脇役」です。


自分は主人公でもあり脇役でもあります。


だから、全て思い通りに行くわけがない。


思い通りに行くというどこか甘えた気持ちがあるから、
ちょっとしたことで深く落ち込むのではないでしょうか。


別に思い通りにいかないんだから
0点だろうが1点だろうが仕方がないこと。


だけど、本音の本音、自分はどう思うのか?
そこが大切なんだと思います。

他人と比べてどうこうではなく、
親や先生にどう思われるかとかではなく、
自分が今目の前にある勉プリを見て、
何を感じてどうしたいのか?


もっともらしい正解っぽい言葉ではなく、
自分は本当のところどうありたいのか。


そこがなければ、「やらされる」勉強に成り下がります。


別にそれでも何も思うことなく、
早くゲームやりたいな・・・
であるならそれはそれで仕方がないことです。


学ぶ時期ではなかったのかもしれません。


でも、その姿を見かけた私たちも同じように問われています。


そんな子供を見たとき、どうしたいのか?


親も子も教師も生徒も
そのことと向き合いながら響き合うしかないのかな
って思います。