2020年というきりの良い年。
これは一生に一度しか経験できない年です。
一度の人生だからこそ、
誰かにデザインされるのではなく、
自分で人生をデザインしてほしいと伝えました。
私が小学校のころ、夢を持っていない子はいませんでした。
そして小学校の先生になったころ、
夢をもっていない子は若干名いました。
そして今、夢をもっていない子の数は増える一方です。
夢をもつ余裕がなくなっているのかもしれません。
夢をもつほど、自分の人生をデザインできていないのかもしれません。
私は小学校のころまでは、
自分の人生をデザインしていました。
ただ、意識的ではなかったので、
本能に基づいて行動していた感があります。
学校内を先生に追いかけられて逃げ回った記憶もあるくらいなので、
TJに通う誰よりも先生にとっては厄介な子供だったかもしれません。
しかし、自由な発想で生きていたので
夢はあふれていました。
ただ、中学を迎えるにあたり、
変化が起こりました。
受験です。
中学受験をきっかけに進学塾に行き始めました。
そして、自分の価値観は一変し、
偏差値の上下に価値を置くようになっていきました。
それに拍車をかけたのが父です。
偏差値が高い人は良い。低い人は悪い。
そう考えるようになり、自分が自由にデザインしていた
人生のものさしは、偏差値というものに置き換わっていました。
しかし、中学受験は失敗し、公立中学に通いました。
偏差値至上主義の名残で、
偏差値68の高校に通うことができました。
大学にも行きましたが、
結局、就職後に悩むことになります。
自分は何がやりたかったのか・・・
小学校のころの自由な発想を捨ててから
年数が経っていたので、
わざわざ自己分析をしなければ、
やりたいことがわからないくらいマヒしていました。
ただ、ラッキーなことに、先生という職業が
子供のころの自分の行動を考えてみても、
好きであり、適していると判断してから、
今に至ります。
私は自己分析がうまくいきましたが、
誰もがうまくいくとは限りません。
私の知人は大卒後、色々な職を渡り、
現在は営業をしています。
しかし彼は悩んでいます。
営業しているものを好きになれないことに。
好きでないことをしている時間が早く終わってほしいと
週末を待ち望む日々。
私は好きでないなら辞めたらよいと思いますが、
そんなことは簡単に言えません。
生活があり、家族があり、責任がある年齢で
そう簡単に職を変えることは難しいです。
だからこそ、若いうちから大切になるのは、
人生をデザインすることだと思います。
勉強も目的を忘れて、ただ点数を上げる、
偏差値を上げるということに偏ると、
必ずあとでしっぺ返しをくらう日がきます。
人間としての成長。
人間としての生き方を考えること。
ここを忘れてしまうと、
全ての行動が本末転倒になってしまいます。
勉強は間違えてもよい
というのは深い意味があります。
何のために学んでいるの?
という原点を考えれば、おのずと間違えてもよいことに気づきます。
深い学びを得るために、
中学に上がる前に
しっかりこのことを考えてもらいたいと思います。