2019年9月12日木曜日

人は変われるという事実

人は変われるんだよ。


そんな話を子供たちにしました。


私が4年生のころに日本人学校の空手サークルで出会った
二重国籍の男の子。
母がタイの方で父は日本人。

でも、お父さんは日本で暮らしていたので、
お母さんと二人で暮らしていたようです。


その子の噂は4年、5年のころも職員室で聴いており、
よくない方向で伝わってきていました。


6年のころに担任をし、
勉強を見ていましたが、
成績はよくなく、素行にもちょっと問題があったので、
彼にはいろいろと積極的に話をしていました。


あるとき夢について話していたところ
「科学者になってみたいな・・・」
と言っていました。


私は良いチャンスだと思い、
「とってもよい夢だから目指してみてほしい」
という旨と、
「クラスで算数で100点と言われたとき、
 周囲がお前じゃない?って言われるレベルになれると
 科学者の夢は近づくよ」
とアドバイスしてみました。


すると彼は「わかりました」と答えてくれました。
表情はちょっと何かをえたような感じが伝わってきました。


すると授業後に質問をするようになりました。
私も多いに褒めるようにしました。
何かあれば「センスあるね」とか
「よく思いついたね」
とか声をかけるようにしていました。


彼が中学になるとき、
私は日本人学校をやめTJブリッジを立ち上げました。


お母さんの強い要望で中1も教えてほしいとのことで、
本来小4~小6までと思っていたのですが、
中1も開講することにしました。


そこで彼を教えていましたが、
アニメが好きで、
お母さんも日本語が日常会話程度が話せるのですが、
勉強を教えることができないので、
彼は家では全く勉強をしていませんでした。
やってもワークくらいです。


週1回の塾のみ。


しかし、週1回の授業では、
すさまじい集中力で勉強をしていました。


間違うと私にこの解き方でもいいんじゃないか?
と食ってかかるようになってきたのも中1です。


自分の解き方が間違っていると気づくと、
私の説明途中でも急に解き直し始めるという感じでした。


ときに間違うと涙ぐむ姿も。


そして定期テストの数学は98点でした!
理科も確か96点だったと思います。


1学期からのテストはずっと理科と数学は95点以上だった記憶があります。
記憶が間違っていても90点以下はとっていないことは確実です。


4年のころの姿、6年のはじめのころを思い出すと驚きの成長です。


高校の相談をされたとき、
私が夢だった理系の国立大学のTOP
「東京工業大学」ということころがあるんだと伝えました。


そこには付属高校があって、
そこに行けたらすごいよな・・・
と伝えていました。


彼は中2の途中で日本に帰りました。


そして日本から連絡があり、
東京工業大学付属高校に合格したとの知らせがありました。


人は変われる。


変わりすぎですが、
これが私がTJで指導するときの支えにもなっています。


あの頃の彼よりもほとんどの子は
勉強ができています。


あとは自分が変わりたいと思うかどうか。


変わりたいと思えるように、
そして変わりたいと思った人を
全力で支える場でありたいと思います。