2019年8月30日金曜日
学校教育は本来とても大切なもの
学校はどんな子も経済状況に関係なく通う場所。
だからこそ、学校教育はとっても大切なものです。
しかし、バンコクで学習塾を経営していてわかってきたことは、
この学校教育が決して確実なものを子供たちに提供できていないのではないか?
ということです。
これは信じたくはないことで、
できれば自分が学校教育のために何かできたらと思うのですが、
自分は学校から出た立場なので、内側から頑張ることは不可能です。
だからこそ、外部の自分にできることは何か?を考えています。
子供たちは学校の宿題の漢字ドリルを
塾でやる時間を与えています。
学校から帰って塾に行くので、
家で学校の宿題をやる時間がないからです。
その時の子供たちの表情を見ていると悲しくなってきます。
思考が完全に止まった状態で、
ただノートに漢字を写す作業をしています。
すべての漢字にフリガナを書いている子もいます。
この時間をほかの知的なことに使えるなら、
もっと子供たちは伸びると思います。
体積の授業内容でそもそも間違って教えている若い先生もいるようです。
どうしてそのままになってしまうのか・・・
また、塾の授業が始まる前に子供たち同士で話している
担任の先生の話も聞いていると悲しくなることがあります。
他のクラスと一単元もずれていて、
最後に慌てたようで
「この授業は1時間しかしなかったのにテストだったんです!」
と泣きつかれたこともありました。
本来、学校でしっかりと指導がされているなら
私のような補習塾はバンコクに必要ないはずです。
しかし、保護者の方からは感謝されているということは、
どうしても学校だけでは無理な現状があるようです。
もちろん、素晴らしい先生方はバンコク日本人学校にいます。
かつて私はバンコク日本人学校にいたので、
そのことは十分知っています。
しかし、素晴らしい先生を選ぶことはできません。
自分は塾の先生をしていて、
子供たち、保護者の方が選んで来てもらっています。
受験はしたくないけど、
学校の勉強をもっと理解したい。
受験勉強をしている人たちと同じように
思考力を高めたい。
そう考えている方々のために
自分ができることは何か。
子供たちと向き合うことに関しては逃げません。
ひとりひとりの子には課題があります。
その課題を見つめ、
自分が何ができるのか。
学校教育ではない教育機関だからこそ
自由にできることがあります。
子供たち、保護者の方が先生を選べる学校があってもよいのではないか。
そこが私がバンコクで学習塾を経営する意味です。
2学期の授業が来週からスタートします。
子供たちの未来のために自分ができること。
常に模索しながら子供たちと心を響かせ合いながら授業をしたいと思います。