2018年6月14日木曜日

本気かどうかは目にあらわれる。

一度ラストの方まで深夜に書いていたのですが、
ふと、うとうとしていた瞬間に、指がバックスペースにかかってしまい、
数秒のうとうとから気が付いた時には全部消えていました・・


しばらく茫然としていましたが、
再びこうして打っています。
どうでもいいことですが(;^_^A

本気かどうかは目にあらわれる


さて、子供たちには、成長する子には特徴がある
という話をしました。
その特徴は顔の一部にあらわれます。

「目」です。

目に力がある。
目が輝いている。
目が燃えている。

そんな表現のされかたをされることがありますが、
まさに目に魂がこもっているような子は
間違いなく成長しています。

いっぽう、目に魂がこもっていない子は
伸び悩むことが多いものです。

目がうつろ。
目がとろーんとしている。

このような表現をされる目です。


子どもたちにはある女の子の例を出しました。


毎回、漢字の自主勉ノートを私のところにもってきて、
間違った漢字が無いかチェックしてほしいと伝えてくれます。
私は彼女に指示していません。
彼女が自主でもってきています。


漢字勉強に魂がこもっている証拠に、
漢字をやっているときの彼女の目には魂がこもっています。


漢字ができるようになりたい。
という強い思いがあるということが根っこにあります。


もちろん、自主勉ノートを私に提出しない子でも、
話を聞いていたら伝わってきます。
家でやってきたという子の結果は良いものです。


ただ、テストへの動機が負のものである場合は、
合格していても目に力がこもっていないということもあります。
※罰を避けたい、叱られたくないなど。


プリントの裏に「復習します」
と自分を振り返っている子にも問いかけました。

本当にやったのかな?というシンプルな問いです。


文字に魂がこもっていない
何となく正解であろう言葉を書いただけなのでは?
ということを自分で気づく必要があります。


同じような問題を何回も間違えているとき、
過去にメモしていた自分は本気でメモしていたのか?
ということに気づく必要があります。


心がここにあらずで、メモしなければ
という義務感のようなものでメモをしていなかったか?
メモをする目的そのものを忘れていなかったか?


そのような心構えの問題が、勉強でも人生でも
テクニックなどより大切になってきます。


勉強を通して、生き方の質を高めてほしいと思っています。