2018年1月18日木曜日
教師と名乗れるのか?教師とは何か?
塾の先生をしていて
常に意識していることは、
単なる「勉強屋さん」であってはいけない
ということです。
テレビの情報、周囲の知人などを見ていると、
一部の学者など専門的な生き方をする人をのぞけば、
勉強だけ出来ても、
むしろ社会で適合することが難しかったり、
自分の生き方に疑問を覚えていたりする人が
多くいるようです。
勉強だけ教えることでも価値はあることでしょう。
でも、それに何か自分なりの価値を加えられるからこそ
教育者という言葉を名乗ることができる気がしています。
その価値とは、
自分の人生哲学を含めた生きる力だと考えています。
ただ勉強を教えるだけの人は勉強屋さんで、
そことの違いを明確にしていきたい。
金八先生が言っていました。
我々はみかんや機械を作っているんじゃないんです。
我々は人を作っているんだと。
作るという表現はどうかとしても、
私は人間を育てるということは
本当に尊いことだと思う。
教師ということばには「師」という字があり、
その師に成りえるかを教師と言われている人は
よくよく考える必要がある。
単に教科の勉強を教えるだけで
崇拝されるような、
成り立ってしまうような教師であってはならない。
また、そんな教師が
両手放しで師と言われるような社会であってはならない。
そういう気がしています。
人間を育てることの重責を担っている。
そのことを忘れないで教師をしていきたいと思います。
また教師を名乗っていきたいと思います。