2016年10月17日月曜日

わからないと向き合うことの大切さ|作業の勉強は無意味

サザエさんで良くある光景は
夏休みの終わりにカツオの宿題を
家族全員で手伝うというもの。


ちびまる子ちゃんも
宿題を計画的にやる姿はありません。



 宿題をギリギリまで手をつけていない状態である
ということは、自分のためには
かなりもったいないこと。


それを子どもたちには知ってもらいたい。



慌ててやるということは
じっくり取り組むことができない。
焦って作業として宿題をこなしているだけ
になってしまうんです。


宿題をやったけど、
ほとんどわからなかったと
白紙状態で出す子もまれにいます。


本当に自分はわかっていないのか?


本当にわからないのではなく
集中して取り組んでいなかったために
わかるところまで考えていなかっただけではないか?


でも、心の中は他人はのぞくわけにはいきません。


結局のところ真実は自分しか知らない。
自分と向き合うしかないのです。
自分を見つめる

人間は弱い生き物。
ついついサボってしまうもの。


らくをしようとしてしまう。
自分に甘くしてしまう生き物です。


だからこそ、日常が甘い生活になっていても
それは徐々に作られて常態化したものなので
なかなか気づくことが難しいです。


授業をうけているとき、
または宿題をやっているときなど
日頃からちょっとした「わからない」が潜んでいて、
その気持ちに気づいている自分が必ずいたはず。


でも、弱い自分がそのわからなかったところを
軽く流してしまっているということがあるものです。


そして、いつの日か
何かしらの絶対に逃げられない壁が現れます


その壁は学生であれば試験。


もし中学1年生の2学期であれば、
1学期の定期テストで
壁を経験して何かしらの思いがあったはず。


成績が悪かった子は
特に今まで自分がちょっとした「わからない」を
放置していたということに向き合うことになります。


その経験をしながらも
まだ日々の生活でちょっとしたわからないを
無視したり、
宿題に取り組むときに軽く流しながら取り組んだりするなら
また同じ結果を迎えることは確実。


わからない自分から
意識的にせよ無意識にせよ逃げているうちは
必ず結果として「わからない自分」と向き合う日がくるわけです。


だからこそ、子どもたちには
面倒でも、嫌でも今現在の自分から逃げずに
向き合って生活し、日々の質を高める習慣を
身に付けてほしいと思います。


宿題だってわからないとすぐに諦めることは
誰だって簡単にできます。


しかし、簡単に諦めた問題からは
簡単な学びしかないものです。


そもそも流してやった宿題というのは
わからない自分にすら気づくことがないぶん
本当に意味がありません。


こんな勉強を何年も続けていても
今の場所から何かの変化が起きることはないでしょう。


自分の未来は自分で変えることができる。
しかも、今の心がけ次第で。


そんなことをバンコクのソイ39で伝え続けている
TJブリッジという学習塾です。