塾で講師をしていて嬉しいことは、
感謝の言葉をいただくことです。
感謝の言葉をいただくことです。
そんなとき、
先生という仕事をしていてよかったなぁ
という実感があります。
先生という仕事をしていてよかったなぁ
という実感があります。
クレームをもらうことはありません。
この6年間でいただいたクレームはゼロです。
「こうしてほしい」という細かい要望は時々あり、
さすがにそれは無理!というレベルのこともありましたが(^^;
TJを選ばなかった人の声は私には届いてきません。
TJを選んでいただいた方は、
そもそもTJの教育方針に賛同してくださっています。
そもそもTJの教育方針に賛同してくださっています。
当然、クレームがないような状態になってしまうんです。
裸の王様にならないよう、
このような仕事をしていて、
常に気をつけなければならないのは、
自己内省です。
このような仕事をしていて、
常に気をつけなければならないのは、
自己内省です。
自分を見つめる。
本当に正しい指導ができているのだろうか?
そして、自分を規制する。
自分の行動は自由ではなく、
批判の声が届いていないからこそ、
自己内省の結果として、
自己規制をしながら指導していく。
批判の声が届いていないからこそ、
自己内省の結果として、
自己規制をしながら指導していく。
そして日々自分の行動を1cmでも高めていけるように精進していくことが
自分には求められているのだと考えています。
自分には求められているのだと考えています。
塾を経営するということは
そんなに楽な世界ではありませんでした。
そんなに楽な世界ではありませんでした。
親は辞める自由があります。
サービスの低下はすぐに生徒数に影響するはずです。
だからこそ、自分を高め続けていくことが最低限の条件になってきます。
子供が好きだから、子供の成長に対して情熱をもつなどという理由は、
今の仕事をする理由にはなりえません。
今の仕事をする理由にはなりえません。
当然のことだからです。
子供が好きではない人はやめたらいい。
子供の成長に情熱を持てない人はやめたらいい。
それくらい責任の重い、子供の人生を左右する仕事だ
という覚悟をもつ必要があると考えています。
その資格が自分にあるのか?
信じる、肯定する自分と否定する自分が
自分の中に共存しています。
自分の中に共存しています。
その状態は苦しみを生みますが、
それでいいんだと思います。
それでいいんだと思います。
慢心せず、否定的にもなりすぎず、
その中間地点で揺れ動きながら成長していけたらなと思います。
その中間地点で揺れ動きながら成長していけたらなと思います。
子どもたちのため、自分のために。