2017年4月4日火曜日

思考のたくましさを育てる

私が大切にしている教育観には、
思考のたくましさがあります。


この思考のたくましさというのは、
大人になったことを見据えているからです。


勉強は、目的ではなくて手段。

受験が終わったら用無しの勉強では
意味がないと考えています。


思考のたくましさはどうやって育むのか。


それは、一見、優しさとは
対極にあるんです。


タブレット学習では、
子供がわからないとき、
ヒントを簡単に手に入れることができます。


また、間違えた問題の傾向を
教えてくれる機能があるものも
現れてきています。


学力を高めるためには
とても有効な手段ですが、
思考のたくましさからいうと、
少し考える必要があります。


社会に出たら、
自分で考えて生きていかなくては
いけません。


人の下で、言われたことだけを
こなすという働き方もあります。


でも、自分の仕事の分野で
トップランナーを目指すのであれば、
道なき道を自分で考えて生きていく必要があります。


そんなとき、自分が今まで
どれだけ失敗し、
自分の頭でどれだけ考えて解決してきたか

という思考のたくましさが求められます。


タブレットで自分のミスの傾向まで
教えてくれるなら、
自分で自分のミスの原因を分析し、
悩みながら成長するというプロセスを
ドーピングのように一気に飛び越えることができます。


でも、社会でトップランナーになれば、
ドーピングは使えません。


悩みもがき、地べたに這いつくばるような努力を
求められることがあるのです。


だからこそ、小学校のまだ人生の
トレーニング期間であるべき時期に、
ドーピングのような手段に慣れさせてしまっては、
いけないんだと思います。


もちろん、TJでは、わからない子供を
ほったらかしにすることはありません。


でも、ドーピングになってしまってはいないか?
と私は自分の指導を常にたしかめています。


だから、教師はただ今まで勉強が
できたという実績だけでは実力を測れないんです。


教師自身がドーピングで
学力を高めてきたという可能性もある
のです。


私は自分で苦しみながら成長してきました。
また、多くの子を学校現場、塾の現場で見てきました。


決して受験を目指す優等生ばかりを
見て来たわけではありません。


そのあらゆる経験を通して
得た技能があるからこそ、
プロの教師だと名乗り、
バイトの講師とは、
一線を引いているのです。


また、そうやって
自分にプレッシャーをかけて、
まだ教師として成長していかなければ
と考えています。


今、不安なことは、
こうやってタブレットや家庭教師に
手とり足取り教わりながら、
細い茎のまま、
花を咲かせようとしている子どもたちの未来です。


思考のたくましさを育てる
という視点を
すべての教師は忘れないでほしいと思っています。